こんにちは。
転職希望の日本語教師しろくろねこです。
日本語教師としての歴が長くなるにつれて、できることが増えていき、学生のために役立てることも増えているなと実感する一方で、
「私なんかが先生って呼んでもらえる資格あるのかな」
「教師歴ばかりが長くなって、実力が伴っていないのではないか」
「私の授業、これで大丈夫なのかな…」
「もっと教務を引っ張っていけるようにならないといけないのかな」
と、仕事への不安が増していくばかり。
今日はただただ私の不安との戦いについて綴りたいと思います(笑)
結論:圧倒的な【自己肯定感の低さ】
結論から言うと、私の場合【自己肯定感の低さ】が不安を大きくしているのだと思います。
普通は経験を積めば自信がつくものだと思います。ですが、私の場合はいくら経験を積んでもそれを圧倒的に上回る【自己肯定感の低さ】が常に付きまとうため、成功しても一向に自信がつきません。
例え成功しても、上手くいったことより、できないことの方に目がいってしまうため「自分を褒めること」がなかなかできず・・・。
「大した学歴もない、優秀でもない私が教壇に立って学生たちに何を与えられるのだろうか」という気持ちになったり、
「外国人留学生は異国の地でこんなにも努力していてすごい。目標に向かって頑張っている学生達を前に私って…こんなんでいいのだろうか」と頑張っている人たちを尊敬する一方で羨ましさと強い劣等感を感じてしまったり。
この仕事を始めたころはがむしゃらで、そんなことを考える余裕もなかったのですが、年々こういった思いが強くなっていきました。
また、自分のために手を煩わすなんて申し訳ないという気持ちがあるため、仕事面だけでなく、私生活でも人に何かを相談したり、両親のお金で成人式用に振袖のレンタル、前撮りの写真を撮るのも嫌だと感じたりとか、自分のために時間やお金を使ってもらうのが嫌で結婚式もしませんでした。
もれなくついてくる【プライドの高さ】
そしてさらに厄介なのが【プライドの高さ】です。「私なんて…」という思いがあるその一方で「できない自分が許せない」というプライドも持ち合わせているので、非常に苦しいです(笑)
自尊心は低く、プライドは高い。
自分はまさにこれ。鬱になりやすい要素が満載!
「自分を良く見せたい」
「華やかな自分でありたい」
そんな思いが強い為、少しでもそのイメージに合わない自分のことは許すことができなくなってしまいます。
前に日本語教師をやめようと思った2つの理由という記事で「授業準備の辛さ」について書きましたが、これも「完璧じゃなくてもいい」「なんとかなる!!」と考えられる精神の人ならここまでの苦しみはないのかなと思います。
自尊心低・プライド高な私は人にがっかりされるのが怖いので、一生授業準備に時間を費やせてしまうタイプなんです。あとはいい加減な授業をしたら自分を呪い殺してしまいそうなので手が抜けない。
なので、前回の記事では日本語学校の労働環境の悪さだけをぎゃあぎゃあ言いたかったわけではないのです。自分のこの性格も相まって、より心が疲弊してしまったのです。
こんな自分との付き合い方
「自己肯定感を高くする方法」「自尊心を高めるための習慣」などでよくある小さな目標を立てたり、自分の良いところを見つけたり、日記をつけてみたり、様々なことを実践してみましたが自分の性格や考え方を変えるのは難しいものです。
現在の仕事場ではそこそこキャリアを積んで人の上に立つことも増えてきましたが、私は人に指示を出したり、人を管理したり、まとめるのは向いていないなと強く感じました。(後輩を指導したり、学生を叱るのも偉ぶっている自分が嫌だと感じてしまうので…)
学生時代のアルバイトも8年ほど同じ飲食店で働きましたが、5年以上楽しく働けていたのにアルバイトマネージャーになった途端、急に仕事が苦しくなってしまったことがありました。自分の指示で人を動かさなきゃいけないこと、その時間帯の責任者が自分になることが辛く感じました。
なので、自分は人の上に立つことがストレスになるのだと思います。上を目指してチャレンジしたり、努力する過程は大好きなのに、、。
今後転職活動をするときは自分の適性を考えながら新たな道を歩めたらいいなと思います。
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