【人生の転機】日本語教師を目指したきっかけ

日本語教師のつぶやき

大学4年生の5月に、私は大手企業の内定を手にしました。
人生でやりたいことはたくさんありましたが、(旅行に行くとか、留学するとか)
【仕事】としてやりたいことは全くなかったので、
日本人の誰が聞いても知っているような会社に
とりあえず就職してみようという何とも不純な動機で就活を始めました。

ラッキーなことに面接が得意な私はあっという間に就職活動を終えて、
残りの大学生活1年弱は遊びに使えることになりました。

そして予定通りたくさん遊びました。
その年の夏休みにはイギリスへ1週間ほど旅行に行き、その足でフィリピンのセブ島へ行きました。2週間の短期プランでしたが、英語を勉強するために留学しました。

留学仲間にも恵まれ、先生たちにも恵まれ、
目にするものすべてが新鮮で刺激的。

日常から離れた環境で改めて「豊かさ」や「幸せ」について
真剣に考えるようになりました。

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水が全くはけない道路
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テレビや雑誌でしかみたことがないエメラルドグリーンの海

ある日英会話のレッスン後、私たちのご飯を用意してくれたり、部屋の掃除や洗濯など、身の回りのお世話をしてくれていたフィリピン人の男性に「日本語を教えて欲しい」と言われました。

軽い気持ちで承諾し、自由に使える小さなホワイトボードにローマ字とひらがな50音を書きました。私が読んだあとに、その男性がリピートするという、”レッスン風”なことが始まりました。

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私が「あ」と言うと、彼も「あ」と言う。
私が「い」と言うと、彼も「い」と言う。
何だかおもしろい。楽しい。
そして気が付くと彼だけでなく、さっきまで私に英語を教えてくれていた
フィリピン人の女性の先生たちも私の適当レッスンに参加していました(笑)


今まで授業を【受ける】経験しかしていなかったので、
授業を【する】側になることが不思議でしたが、
すごく楽しかった記憶があります。
そして、こういう仕事は世の中にあるのかな。
もしあったら、やってみたいなと思い始めました。

そして一通り50音の発音練習を終えると、こんな質問が。

「なぜ、たちつてとは 発音の法則が少し違うの?」
「やゆよ はなぜ3文字なの?」

え?

そんなことを疑問に思ったことは生まれてから一度もなかったので、
本当にびっくりしました。
そして、全く答えられない自分にもがっかりしました。
「あ、もっと日本語について勉強したいな」と
思うようになりました。

そして日本に帰国後、日本語についてもっと知りたい、
外国人に日本語を教えてみたいという思いがあったものの、
既に内定をもらった会社の研修などもちょこちょこ始まり、
人生で初めて持った「日本語教師」の夢に蓋をしました。

しかし、やりたいことがあるのに、別の道に進もうとしている自分に
違和感を抱くようになりました。
その違和感は日々大きくなり、
人生初の夢への熱い情熱を押さえつけることは難しく、
悩みに悩んで内定を辞退することにしました。

そして、日本語教師になるための道を探し始めました。

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